猫物語23 絶望が何さ!

「あれっ、丸はどこ?どこに行っちゃったの、丸?」とチカコさんは、丸が入っていった家の回りをウロウロしました。

「あなた、この家の人?」とその家の玄関の前にボブヘアな男前の女の人が立っていました。

「私は、野々宮カナ子です。社会福祉協議会から来た野々宮カナ子です。あなたは、親戚の娘さんですか。」と、男前な彼女は、チカコさんに問いかけます。

「いえ、私は、ただ猫を探しているだけです。」とチカコさんは答えました。返事を聞くなりカナ子さんは「だったら、あなた証人になって下さい。今からこの家に入ります。何度呼んでも返事がありません。本人が、居るのは確かなのです。もしかすると倒れているかもしれません。だから強行突破します。私が不法侵入じゃないという証人になって下さい。あなたにお願いします。」と男前のカナ子さんに頭を下げられてチカコさんは、びっくりしてマゴマゴしました。

チカコさんが恥ずかしくてうつむいていた時カナ子さんは開いていた窓から入ると玄関の戸を開けてくれました。そして、チカコさんに「一緒に来て。」と言いました。

「田中花子さん、花子さん、どこですか?大丈夫ですか?」とズカズカとカナ子さんは入っていきます。チカコさんは、オッカナビックリ後を追いかけました。

カナ子さんは、奥まで来ると部屋のふすまをカラッと開けました。するとそこには、この家の主人の田中花子さんがベッドの上に眠っていました。

「花子さん、花子さん、大丈夫ですか?社会福祉協議会の野々宮カナ子です。」とベッドに眠っている花子さんを揺さぶりました。花子さんは、うっすらと目を開けました。

「ここは、どこ?」と花子さんは、夢見るように言いました。「娘はどこ?」いつの間に紛れこんだのか子猫の丸もしっかり花子さんの傍らにいます。

カナ子さんは、花子さんの娘さんのお葬式に出ました。だから、花子さんの口から「娘」と言う言葉が出たのですぐに反応しました。

「しっかりして下さい。花子さん。ここはまだ、あの世じゃありません。」と言うのも何か変だなと思いながらカナ子さんは叫びました。

「じゃ、あなたは誰?」と花子さんは、まだ半信半疑で、カナ子さんを見上げます。「私は、社会福祉協議会の野々宮カナ子です。しっかりして下さい。この家、臭いわ。あなた家中の窓を開けてまわって、早く!」とカナ子さんは、チカコさんに命令します。命令されたチカコさんは、あたふたと家中の窓を開けてまわります。

花子さんは、はっきりと目を覚ましました。「どうして放っといてくれないの!生きていても何もいいことなんかないわ。もう80年も充分に生きたわ。これから先絶望しかないのよ。娘を失って私が残ってしまって神様も人まちがいをしたようネ。これから先、生きていてもしょうがないのよ、放っといて!」と花子さんは悲しそうに言いました。

黙って聞いていたカナ子さんは、ムッとしました。(まだ、味わいつくしてもいない絶望を思って死のうなんてぷんぶく茶釜だわ。絶望は、味わってから絶望について語るべきだわ。)とカナ子さんは、心の中で思いながら花子さんに近づきました。

「わかりました。これから先、何もいい事がないとおっしゃるのですネ。悲しみは、よくわかります。」とカナ子さんが、ここまで言った時、花子さんが反応しました。「何があなたにわかるのよ!そんなにピチピチしていて美しくてあなたに絶望の何がわかるのよ!」と花子さんは何かワクワクしながらカナ子さんに食ってかかりました。

絶望を知らないと言われてカナ子さんは、口を噛みしめました。なぜなら絶望ほど彼女にぴったりの言葉はなかったからです。

10歳の時、不慮の事故で両親を失くして以来彼女に安住の地はありませんでした。彼女を取り巻く世界は、彼女を潰そうと働きました。健全に生まれた人間が尊厳のすべてを剥ぎ取られ、16歳の時には、精神障害を発症する準備が出来ました。衣、食、住の安全は健全な精神を育む為に不可欠です。

例えば、彼女は10歳の時、降り続く雪の中に裸足で立っていました。生まれて初めて人に暴力を振るわれた彼女は恐怖の底におりました。しんしんと降る雪を見ながら、彼女は公平な雪に感動しました。

彼女の耳には、有名な詩人のあのフレーズが響き渡っていました。

“太郎の屋根に雪に降りつみ

次郎の屋根に雪降りつもる“

彼女のうら覚えのフレーズです。語尾は間違っているかもしれません。

彼女は、涙を流しながら雪が平等にあの家にこの家に降りつもるさまを眺めておりました。泣きながら彼女は、公平な人間になろうと思いました。

彼女は周りの人間に「お前は人間じゃない。」と言われ続けました。三食の食事も満足に与えられませんでした。気分次第で周りの人間は彼女に暴力を振るいました。しょっちゅう周りの人間は彼女を家から追い出しました。彼女は野宿をしました。

そうです。彼女の人生には、絶望しかなかったのです。(私ほど絶望を味わった人間はいない。)カナ子さんは毅然と顔を上げました。

「私は児童期に虐待を受けたものです。戦争のような日々でした。私は健全な精神のすべてを壊されました。壊した人間も青年時代に軍隊に暴力の洗礼を受け続け健全な精神を失ったものでした。義父もまた、戦争被害者だったのです。私は、生き延びる為に自分を捨てました。そうするしか、誰人も憎まない選択は、なかったのです。花子さん、そんな経験をした私が言える事ですが、悲しみに絶望しないで下さい。生きていれば必ず春は来ます。歳をとってもです。必ず春は来ます。」とカナ子さんは、笑顔で言いました。

花子さんは、唖然としました。そして、言いました。「あなたは、何で笑ってられるの?」と花子さんは、声を振り絞りました。

「それは、絶望の先に歓喜の歌が流れていることを知っているからです。さあ花子さん、季節になれば花も咲きます。風も香ります。心が強くなれば人生を楽しめます。私は人を励まし続けて自分自身を取り戻しました。花子さんしっかりして下さい。そう安安と絶望してはなりません。絶望なんかへのカッパです。きっと明日は自分の笑顔に出会えます。」とカナ子さんは、笑顔一杯に答えました。

花子さんは、びっくりしました。悲しみの先に喜びがある、そんな事は考えたこともありません。花子さんの不信のコートが脱げかけました。

死神は「チェッ、また、アイツか。クソいまいましい。後、もう少しで私の軍門に下ったのに。オレは、自分が忌々しい。10歳のあの子の前で仏心を出したばっかりに、今、こんな目にあっている。あの日、明日にも死にそうなアイツを見て、オレは死神らしくもなく励ましてしまったのだ。なんたる不覚!アイツは殴った相手の拳の裏側に相手の悲哀を感じて泣いていたのだ。「ああ、この人も哀しい人なのだ!」と泣いていたのだ。そして、アイツは相手の幸福を祈りやがった。オレは、きっとアイツは、自分が死んでも相手を生かそうとするんじゃないかと思ったんだ。まあ、オレの推測は当たったんだけどな。オレはアイツに絶望を与え続けたよ。麗しい人間関係も、楽しい学校生活も安全な家庭生活も、アイツのすべての世界をぶち壊してやった。それでもアイツは生き延びやがった。アイツの心の中に憎しみの影は訪れなかった。ただ、アイツ自身が自分の心を消したのだ。それなのに喜々として蘇りやがった。今では、オレさまの好敵手よ!オレは敵の心を鍛えあげてしまったのだ!何と、くそ忌々しい!オレはオレを憎むぞ!」と死神は拳を握りしめました。

カナ子さんは、嬉しそうに喜びの歌を唄い上げました。そして、カナ子さんは死神にさえもにっこりと微笑んだのです。

花子さんは、人間の真の強さを見たのです。チカコさんは、カナ子さんが大好きになりました。もちろん、丸もファンになりました。

 

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