猫の茶々は、歳をとり、猫会議の議長の引退を考えた。茶々は自分を振り返ってみて、もうそんなに体力も気力も残ってないことを悟りママさんへの想いを語った。
「もう、猫会議の議長もやれないわ。そろそろ引退ね。そう、悪い猫人生じゃなかったわ。ママさんにも会えたし、カナちゃんにも会えた。
二人は、愚直すぎるほど愚直だった。毎日が映画を見ているようだったわ。ママさんは、いつも予想外だったけど、胸が熱くなったわ。
ママさんは、どん底にいる人間の処まで降りて相手の肩を叩いて言うの。「ドンマイ、ドンマイ、大丈夫!まだ、あなたが、いるじゃない。」と笑顔で言うの。たいてい相手はビックリするわネ。
寝る所も着る物も食べる物も、もちろん信用もお金もない、ないないづくしの人間に笑顔で「大丈夫、大丈夫。まだ、あなたがいるよ。」と言うんだから。
ママさんは、相手が落ち着くまで黙って温かい白い御飯をよそい、相手の居場所を作り、着る物を整えていたよ。
でも、相手は世間から常に白い眼で見られてきたんだ。ママさんの真心がわかるはずがない。ママさんに散々世話になっても何回も裏切り続けるんだ。
何度、ママさんの家に家宅捜索の手が入ったろう。相手が何回タイホされたろう。そのたびにママさんは、自分の心を深く耕して満天の夜空を見上げて(もう一度、信じてみよう。)と思うのだ。
私、茶々は思う。(あの、ろくでなしのどこを信じるのだろう?)と。私から見たって相手は、ろくでなしに見えたわ。ママさんはそのろくでなしと結婚したのよ。なんで、そんな奴と皆あきれかえったわ。口の悪い人は、あからさまに「男の虜になったんだろう。」と口をすぼめて言ってたわ。
ママさんから友人達が離れていったわ。ママさんはろくでなしと同じように見られだした。7年もの間、相手が刑務所を出たり入ったりしている間、ママさんを訪れる人は誰もいなかったわ。誰もがママさんと関わりを持つことを恐れたのだ。どんな思いでその年月を重ねたのか?
私には茶々には推し量る術もない。
でも、私、茶々は思うに、こう想像する。
ママさんは更に勉強したのだわ。自分の精神の背骨を鍛えたのネ。孤独の中でママさんは心を磨きあげた。深々と雪の降る雪原の中で、私は、茶々は、ママさんの人生の再生を信じて祈る声が聞こえるような気がしたわ。
ママさんは言ってた。「私は私の人生から撤退しない。それこそが21世紀を駆け上る道であり世界平和へと通じる道だ。私は無限の人間の可能性を信じている。」と言ってた。
ママさんの人生は、それからも波乱が続いた。それでもママさんは、ろくでなしとの結婚を解消しなかった。ママさんは、ろくでなしの遥か彼方を見てるようだった。ママさんは、更生するっていう人間をそうじゃないだろうと言えなかったんだと思う。
ママさんは、人間の可能性を信じたかったんだと思う。と、私は甘い事を考えていた。でも、違ってた。ママさんは、どんな人間も生きていれば大丈夫!生きている以上に尊い事は無い!そう思っていたんだ。
ママさんは、虐待を受けて育ったらしい。
心的外傷からの回復に50年間かかったらしい。私、茶々は、思うんだけど、ママさんは、いっぱい生きづらかったんじゃないかな?心的外傷の真っ只中は、不眠、被害妄想、幻覚、幻聴、鬱状態などなど、それは精神疾患そのものだ。第一、最も手に負えなかったのは自分で自分が信じられなかったことだとママさんは言ってた。
だから、ママさんは自分の幸福を願う気持ちを捨てたと言ってた。(私の事は良いですから、彼、彼女のことをお願いします。)というような気持ちだったとママさんは言っていた。
ママさんは我が身を捨てたんやね。心のバランスが悪いとそうなる。そうでもしないとママさんは生きられへんかったんやね。
半端な虐待じゃなかったらしい。それに虐待した人間に「人を憎んだら、あなたの人格が崩壊するわよ!」と言われたらしい。ママさんは虐待した人間を憎むこともできずに、怒りの感情は出口を失った。
ママさんの怒りの感情は沈殿し、幻覚や幻聴、あらゆる不快な感情の源泉となった。ママさんの超自我は異常な発達を遂げた。退りなく立派な人間が出来上がった。メッキだらけの偽善者が出来上がった。
防衛規制はコンピューター並みになった。どんなカウンセラーも歯が立たなかった。どんな善意も悪意に見えたとママさんが言ってたわ。
ママさんは、いつも追い立てられているようだった。いつもハムスターみたいに動き続ける自分がいたと言ってた。
ママさんの人生にリラックスと言う言葉はなかった。リラックスゼロの人間が出来上がったのだ。ママさんは過労死に向かって踊る人形になったのだ。足を切り落とさない限り踊りをやめない人形に!
ママさんは困っている人をほっとけなかった。困っている人は皆、自分自身だったからだ。ママさんは彼を彼女を全身で励ました。彼や彼女が元気になるたびにママさんは元気になった。オカシナ症状がひとつひとつ消えていったと言ってた。そして、50年目のある日、ママさんに100点満点のリラックスが訪れた。ママさんが心的外傷から生還したのだ。
それでも50年間もかかったんだ。虐待を受けた傷の深さを思うね。ママさんはハインツ・コフートの三部作、自己の分析、自己の修復、自己の治癒に出会えたことが転機だったと言ってた。またE・H・エリクソンにずいぶんお世話になったわねと笑っていた。それもママさんは、ケアしてる人を理解する為に読んだ本が全部自分の役に立ったのよ。不思議ねと楽しそうに笑ってた。
中学しか出ていないママさんが、どんなに真剣に一人の人に向き合っていたのか。全部、ボランティアだったと聞いて腰が抜けた。学歴がない私はお金を払う価値がなかったのネ。ママさんは工場で働いて自分の生活を支えた。ママさんは「貧乏は私のお友達やで。お金がなかったから、生命を汚さずにすんだ!」と本当にカラカラと笑ってた。
ママさんは、どれだけ苦しかったろう、どれだけ辛かったろうと茶々は思うわ。でも、ママさんは、虐待した人達を許していて、相手を看病したこともあるそうな。
その時、相手が「オレはアイツに一コも優しくなかった。なのにアイツは何で優しいんだ?」と陰で泣いていたそうな。ママさんの真心が虐待した人をも包み込んだんだネ!
今では、ママさんは「苦労の日々こそが、私の最高の財産よ!」と笑っているけど、私茶々は、思うわ。よくここまでママさんが自分自身を諦めずに生き延びたなって感心する。
そんなママさんだから生き抜くことの尊さを知っているのネ!
私は飢え死にしそうな所をママさんに拾われて、ママさんの子供になったんだ。私は長女よ。カナちゃんは次女、私より後だからネ。
私に言える事は
ママさん、ありがとう!
誰もママさんの心の深さを知らないかもしれない。でもその笑顔は怒涛の人生の荒波の中で歓喜の歌そのものです。
ママさん、あなたの血の涙は誰も知らないかもしれない。でも、ひとたびママさんに心を掴まれたら、私たちは火傷しそうです。
ママさんの熱い心で火傷しそうです。
ママさん、茶々は、猫人生が残り少なくなりました。ママさんに会えてよかったです。ママさんの「大丈夫よ!」が聞けてよかったです。もう少し、お世話になります。ママさんの熱い心にもう少しお世話になります。と茶々は残勝に思うのだ。
みんなに少しだけ教えるネ。
今、ろくでなしは踏まれ続けている。
ろくでなしは、この大宇宙の黄金律を胸に立ち上がろうとしている。ママさんはつぶやく。
「私より夫の方が人材よ。見守って下さい。
一人の人間の無限の可能性を。
何も持たない人間の底力を!
そして、私達無名の人間の立ち上がる時
地球は喜び 太陽は笑い
月はほほえむだろう。」と。