猫物語37 あなたの中に仏がいる!

 おばあさんが寝たきりになりました。おばあさんはむくれました。おばあさんは立ち上がれなかったことを、歩けなくなったことを嘆きました。そして、天を呪いました。

 おばあさんは何一つ困る事はなかったのです。娘さんは甲斐甲斐しくおばあさんの介護をしました。けれどおばあさんは立てないことが、歩けないことが重大事件だったので、ちっとも嬉しくありませんでした。おばあさんは娘さんにいつも美しく清潔にして貰っておりましたが、そんな事は当たり前のことでした。

 おばあさんは立てなかったのです。おばあさんは歩けなかったのです。「死のうかね!」とおばあさんは娘さんに告げました。

娘さんは慌てました。そしておばあさんの心の空しさを思い、おばあさんの心の充実を祈りました。

 おばあさんは天井を見て窓から空を見て天井は狭いと思いました。おばあさんは自分は不幸だと思いました。おばあさんは何一つ困る事はありませんでした。おばあさんの運動も、娘さんが毎日、全身を屈伸、マッサージをしています。でも立てないことが歩けないことが一大事のおばあさんはちっとも嬉しくありませんでした。

 おばあさんは手足を動かされるのが億劫でたまりません。娘さんがおばあさんのリハビリを始めると「もう、せんで!せんで!」と身体をクニャクニャさせます。おばあさんの五体は美しく今にも歩き出しそうです。おばあさんは立てないことで歩けないことで生活の全てが不幸でした。

 おばあさんは自分の介護をしてくれる娘さんの幼い頃、ご飯の用意をしませんでした。母親としてのどんな細かい気遣いもしませんでした。

「持たぬ子に泣かぬと言うけど本当ネ。」と若い頃、おばあさんは娘さんに言い放ちました。娘さんはその言葉に深く苦しみました。後年、知ったことですがおばあさんは、娘さんがどこかでご飯を食べていると思っていたそうです。どうして幼い子供にご飯を用意してくれる家があるでしょう。

 戦争被害者の旦那さんの暴力で壊れかけたおばあさんは悩まなくていいように考えました。思考を失ったおばあさんは娘さんを守れませんでした。

 おばあさんは恐れました。(この子が憎しみを持ったら私たちは復讐される。どうしよう!)と、そこでおばあさんは思いつきました。

「あなた、人を憎んだら自分の人格が崩壊するわよ!」と言う言葉をです。娘さんの感情はそんな言葉で縛り上げられました。

娘さんはその言葉に苦しみました。

 それでも、勉強の好きだった娘さんは学問することに喜びを見出していました。ある日、おばあさんは就職口を手配して娘さんの学校をやめさせました。娘さんが、だんだん綺麗になってきたからです。おばあさんは美しくありませんでした。

 「学校を辞めたくない!」と泣きじゃくる娘さんにおばあさんはあっさりと言いました。

「仕方がないじゃない。」と。なんと責任のない言葉でしょう。娘さんは泣くのをやめました。それ以来、娘さんはロボットになりました。娘さんの脳裏には目をつぶると後から後から辛い生活が浮かび上がってきます。

 娘さんは立てなくなったおばあさんを見て(どうしよう!)と悩みました。おばあさんの苦しみを思いました。空にはトンビも飛んでいます。骨切しておばあさんが寝ているのなら痛い痛いと言わねばなりません。娘さんは、おばあさんが痛い所がどこもないのでありがたいと思いました。おばあさんの心が晴れやかになるように娘さんは、がんばりました。

 おばあさんは40代の頃、山坂を超えて26年間も新聞を配り続けました。毎朝4時から頑張ったのです。娘さんはそんなおばあさんを尊敬しています。その功労に娘さんは報いたいと思いました。

 虐待のことはいいのです。虐待したのは娘さんではありません。娘さんは苛める側ではありません。娘さんは誰も憎まなかったので業因を積むことはありませんでした。

 娘さんは深く生きるようになった時、おばあさんに感謝しました。おばあさんは復讐されなくてホッとしました。でも、相手が自分にやさしいのはチンプンカンプンです。だからおばあさんは娘さんを試しました。

 おばあさんは、わざと紙パンツを脱いで敷布団を濡らしました。それに食べられない、まずいと御飯を吐き出しました。それでも娘さんはニコニコと笑っています。おばあさんは(この人はなんだろう?)と思いました。娘さんはいろいろな事がありました。いつも我が身を捨てて人を励ましました。娘さんは、そうするしか道がなかったのです。

 娘さんには乗り越えなければならない山々の峰がありました。怒りの峰も憎しみの峰も呪いの峰もありました。娘さんはその峰々を尊敬と感謝の気球で越えていきました。

 虐待したのは娘さんではありません。(その罪を私が受ける必要はない。私はこれ以上不幸にならない為に誰人も恨まない。刺されてもがき苦しんでいる私が、相手を恨んでますます深みにはまる必要はない。私は超然と誰人も憎まないぞ!

 私は決して人間の醜悪に堕ちないぞ!私は善美の山を登はんするのだ!)と、娘さんは岩板に爪を立てる想いで決意しました。

 娘さんは毎日毎日おばあさんの下の世話に追われました。一見、娘さんの人生は貧乏くじそのものです。虐待された相手の下の世話をする、最後の最後まで娘さんの人生はおばあさんに虐待されたのでしょうか。

 いいえ、それは違います。娘さんはミクロの世界平和の台本を手に入れたのです。娘さんは、おばあさんの幸福が、自分の願いとなりました。娘さんは自分のために心をくだかなかった人間の人生に心をくだきました。娘さんは覚知しました。そこにこそ心の平安があることを!

 おばあさんは不思議で不思議でしょうがありませんでした。おばあさんは娘さんにポツリと呟きました。「死んでしまおうか。」と。娘さんは白猫のライトを抱っこしていました。「なんで、死なんならんのよ!何か困っていることがあるの?」と娘さんは言います。ライトは娘さんの腕の中でヌクヌクしています。おばあんは(しんけんに困った事だらけだ。)と思いました。

 娘さんは思いきって口を切りました。「もしかして立てないこと歩けないことで自分は生きている意味がないと思っているの。あのね、ばあちゃんの世話をする人間がおらんわけ。」と娘さんはおばあさんに直球を投げます。おばあさんは布団の中で目を丸くしています。

「おるよ。娘がおる。何も困ってないよ。」とおばあさんは消え入りそうに言いました。

「今、ばあちゃんに出来ることは祈ることだけやろ。祈ることだけやったらどこでも出来る。生命通わんほどにわよ。がんばらんば、がんばらんばいかんよ!へこたれたらいかんよ。立てんでも歩けんでもまだ出来ることはあるよ。忘れたらいかんよ。私がそばにおることを。忘れたらいかんよ!私がばあちゃんの幸福を祈っていることを。忘れたらいかんよ。」と娘さんは一生懸命におばあさんに言いました。

 娘さんは思います。

おばあさんの最後の日、千仏がお迎えに来られる時おばあさんをしっかりと渡すことを私の第一の幸福といたします。)と娘さんは祈りに祈りました。

娘さんは、自分が最強になったことを感じました。自分を虐待した相手を抱きしめたとき娘さんは高いかの山エベレストをも乗りこえたのです。差違の山を眼下に見下ろしながら娘さんは悠然と走ります。おばあさんを大切にすることは娘さんの勝利の姿です。娘さんは自らを殴った相手を、刺し殺そうとした相手を大いなる我が心で包みこんだのです。そうです。あなたの中にもある大いなる心を鍛えて大空に解き放ったのです。

勝利の凱歌が聞こえます。娘さんの前にあったウンチとオシッコの陳列は喜びで小躍りしています。娘さんの作務衣はピカピカに光輝いています。

 出たてのウンコは臭くない。オウ!

 いつも乾いたシートの上に

 私はお尻を横たえたい。オウ!

 ウンチもオシッコも大好きになれば

 桜色の行進だ。オウ!

生活者の全軍がグラウンドを回ります。

先頭にウンチ隊が見えます。

皆さん!拍手して下さい。

皆さん!ウンチ隊の皆さんの胸にゴールドバッチが輝いています。

ウンチが大好きになった人がおったのです。

奇跡が奇跡が起こりました!

人間の勝利です。

憎しみの河を人間は渡りました!

続々と陳列が続きます。

もう、止められません。

ああ、涙が止まりません。

決勝点に向かって

更に平和な世の中にする為に

この行進は永遠に続くものと思われます。

私はこの日を忘れません。)と娘さんは夢想にふけりながらクスリと笑いました。

 そばで猫のライトが大きく伸びをして

「お前、大丈夫か?」と娘さんを見ていました。

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